日本がオワコンな件

つぶやき

いや、正直なところ日本で暮らすのは無理だと思う。

札幌市内のハローワークの求人をふと眺めていると「正規雇用でこの月収?」と目を疑った。
一見すると求人数は多いように見えるが、ひとつひとつのそれらはだいたい募集1人である。

運良く就職が決まったとして、では給与はどんなものかというと、ざっくりで申し訳ないが総支給15万前後というのが感触である。

手取りではなく総支給である。

自動的に引かれる社会保険料数万円。

一人暮らし家賃5万だとしたら、食費を切り詰めて2万。光熱費1万、通信費1万、日用品5,000円、病院代○万、娯楽費○万、交際費○万、書籍エンタメ○万。

女性なら化粧品や衣服生理用品代+α。

貯金なんてろくにできない。できたとして○千円。

完全に詰んでいる。

もし、扶養者がいるのなら?
結婚していたら?
子供ができたら?

いや、無理である。

サラリーマンという社畜

以上、述べた内容が現状中途採用の求人案件の現実を、至極冷静に見ると心が凍ってしまいそうだ。

冷静などではなくむしろアルコールで燃やした頭で当該案件を俯瞰した方が多少マシに見えてくる。

大した楽しみなどなくてもタバコと酒さえ飲める現状をヨシとするのなら、私たちは希望などという言語をこの世から消し去るべきである。

などと自己陶酔に満ちたこの文章を書いて一時の達成感を味わうとて、すぐに無様な自分現状を顧みる。

斯様な生き恥を無様だと感じる感情がなお愚かというのなら、もはや人生はいかにして鈍感にして生きていく方が遥かにマシではないか?

社畜はいつからこんなに夢も希望もない生き方に成り果ててしまったのだろう。

SNSの台頭

一方で、SNSを主軸としたビジネスが時代の流れになっていた。

5年ほど前から『夢の職業』と言われたYouTuber。

多種多様なメンタルに傷を負うインキャたちにとってまさに一世風靡となった夢の仕事。

子供たちの将来なりたい職業としてもランクイン。

家に居ながらにして、あるいは何気ない外で適当なことを喋る、動く。

適当にそれらしく編集したそれらはテレビのそれを凌ぐ存在とまで言われた。

ブロガーも流行った。
ひと昔前に比べたらその単語を聞く機会も減ったが、動画最先端時代でもテキストのその価値はやはり終わらない。

むしろ動画に慣れすぎてあまりに直感的になってしまった脳に冷や水を指すものとして、テキストや書籍の価値は以前より実は高くなっているのかもしれない。

とはいえ、ブログの収益はGoogleアドセンスとアフィリエイトの魑魅魍魎たるものである。

今では黎明期だった頃の五分の一以下の収益でしかなく、YouTubeのそれも大幅に下がっている、よう、である。

いずれにせよ、これ、で一発当てた人たちが一気に富裕層となり、その成り上がり方すら話題になった。

ある一方では、もはやYouTubeの広告費だけでは稼げないと悟った若者たちがYouTubeを商品宣伝の媒体として(TikTok、Twitter然り)利用するように変化している。

自社コンテンツ

そのようにしてある意味悟った若者たちが次に走るのは大人なコンテンツである。

自らの美を商品にして売る。

まさに若者しかできない芸当である。

そしてそれは人間の三代欲求たるものの一つである。

一見すると頭の悪い発想に見えるが、三代欲求たるものの一角を売るのであれば、、当然売れるに決まっている。

しかしながら売れる商品のカテゴリが以前とは違えど、自社コンテンツを売る、という行動はビジネス系インフルエンサー界隈の中では至極当然の考え方であった。

かくいう私も、自分のコンテンツを作り、それをSNSで宣伝する、ということをしてきた人間の端くれだ。

当時(今もだが)無名だった私は有益とおぼしき考えをTwitterで毎日10つぶやく。

ネタが思い浮かばない時はひたすら外を歩いて、神の声ごときが聞こえるのを待った。

降ってきてた言葉を冗長にして大袈裟につぶやく。

そうして得られるものは何か?

そう、知名度である。

やりたいこと

当時、プログラミングも流行った。
何をすべきかわからないならとりあえずやれ、といった風だ。

何故なら、将来食いっぱぐれなし、独立可能!とされていたスキルだったからだ。

もともと生活習慣がパソコンに触れていたから特段苦もなく私も始めた。

そしてそれは思ったより楽しい作業だった。

当然、それなりにスキルは伸びた。

だが、ある日気づいてしまった。

自分に残された時間の少なさを。

だから、また私は彷徨い始めてしまった。
まだやりたいことが沢山ありすぎたのだ。

自分は何者か

こんな甲斐のない文章を書けるのはそれなりに安定した仕事をしているからである。

だが一方で、時は残酷に削られていく。

もはや自分が何者か、なんて問うことは殆どない。
いや、何者でもあるはずがない。
ただの人間だ。

そんなことはとうの前から分かっていたことだから。

そして最近思うことがある。

幸せとは。

ここまで何のために書いてきたのか理由がここにある。

生きる意味、より、幸せの意味

生きる意味など最初からなかった。
けれど確かに幸せはいつも側にあった。

図らずとも、人間には幸不幸の感情を持ち合わせた生き物だ。

ならばなぜそれに気づかなかったのだろう。

闇があるから光があるように。こうして不幸を謳ったところで、いつもひょっこり顔を出しては消えていく、それでいて確かなもの。

嬉しい時はいつの日もそこにあった。

気づけばそこにあるもの。

それこそが幸せだ。

社畜だろうがYouTuberであろうが、何者でもなかろうが、確かにそれはそこにある。

絶望に打ちのめされて諦めても、小さくてもそこにあるもの。

いや、本当にそれは小さいものなのか?

歌手である槇原敬之のとある一曲にこんな一節が残されている。

「僕と彼女の幸せを君に分けたとしても、やっぱり幸せのかけらは、ただの幸せのようなもの」

著:中の人

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